好き嫌い
私は何でも食べる。好き嫌いは少ない、いやほとんど無い。今までに食べられなかったものは、「蜂の子」。高校生の時、バスケット部男子のインターハイを応援に長野へ行った時、旅館で出た(私達女子は、惜しくも県大会ベスト8で終った。司令塔の子が、始まった直後に捻挫、退場。それでもインターハイ出場校とせりあった。今考えても、惜しかったと思う。)一緒に行った友達のうち、一人は「これおいしんだよ~。高級なんだから。」とおいしそうに食べていたけれど・・・。色といい、形といい、口に入れることもできなかった。それ以外、口に入れられなかったものは記憶には無い。(オーストラリアでワニも食べたし、カンガルーも食べた。大学時代には、かえるも食べた。すべてなかなか美味。いなごもすずめも大丈夫。) どこかで聞いたことがある。食べ物の好き嫌いは、その人のすべての物に対する好き嫌いの程度を表していると。本当にそうだと思う。要は、自分の考えがはっきりしているということか・・。私のような優柔不断人間は、好き嫌いに頓着が無いのかも。(どうでもよい、のか決めるのが面倒くさいのか・・。) しかし、最近は以前より好き嫌いの感情がはっきりしてきたような気がする。嫌いと拒絶することに罪悪感を感じていた昔とは、やや違ってきた。そう、昔はなんでも嫌うのはよくないことと思っていた。今は、もう少し自由な感情にまかせて、「私は嫌い」と思えるようになった。嫌いでもいいじゃん、でも認めよう。認める心の広さを持とう、持ちたい。自分の意に反することは常に山とある。急いでいる時、信号が青のままであって欲しいと思うのに、赤になる。そんな自分の意に反する日常の出来事に、腹を立てていても始まらない。好きでも嫌いでも、すべて与えられた環境に感謝していれば、必ず事態は好転する。これがこの世の法則。