イノアブログ

日課、その2

最近日課を作らなくてもすむ人も世間には多くいるようだ。不登校、長期欠勤、ニートなど。最近のいわゆる人生相談みたいな番組に出てくる回答者は「本人にとっては、とても大変な負担なのですから・・」とか「長い目で見守って・・」などという、とても寛大なお答えがほとんど。  私の時代はまだ(家が特別ということでもなかったと思うが)、学校へ行くのはあたりまえだった。家庭も社会もその認識で一致していたと思う。風邪引いて熱があっても、休ませてはもらえなかった。その時は、「家の親は気が変じゃないか・・」と恨んだものだ。でも、学校へ行った。  今は、認識の多様性と言ってしまえばそれまで。個人の自由と言ってしまえばそれまで。私も”自由”はとても大事、現に自分も自由に生きている。しかし、その自由と、嫌な事はやらない、つらいことは避けて通る、やらなくてもいい。我慢もしない。社会もそれを個人の自由として(しかもまだ人格が全くできあがっていない子供にまで適用して)許す環境が今はある。人間、日課が無ければ、ほとんどの人はただ堕落するだけなのがおちなのに。その為に育たない精神。ちょっと悪口を言われると、もう学校へ行けなくなるというひ弱さ。子供にまで波及する生活習慣病。信じられない未成年者の犯罪。  どれも、正しい日課を作らない(子供の場合は、親が作らせない)ところに原因があるように思う。