イノアブログ

殺海老

先日、とても高価なご馳走をいただきました。”車えびのおどり食い”ができる、もみがらに入った生きた海老。私のボスは、「あなた料理して!」と私に殺海老命令を出したのです。昔、殺海老未遂をしたことはあります。その時は(確かどこかのお店で)、あまりの元気の良さに(海老が)、未遂に終わりそばにいた誰かに殺海老を依頼したような気がする。  今回は、他に頼む人はいない・・・。「やるしかない・・。」  1匹目、もみがらを洗い落とし、まず尻尾に近い脚をちぎってみる。     ”ピクッ!!!”流し台に飛び降りた海老・・。逃げる海老をむんずとつかみ、手の中でピクピクする海老に「ごめん!あなたはもう遅かれ早かれ食べられる運命なのだから。」と言い聞かせ、心の中で念仏を唱えながら、「早く楽にしてあげなければ・・・。」と一節、二節殻をむいたけど、ピクピク度はさらに増し、「そうだ、頭をちぎるんだ~~。」と気づいた。尻尾と身だけになっても、ピクツ。なんと強い生命力。「あなたの命をいただきます。」とお礼を言って1匹目終了。この間の私の心臓は、ドキドキどきどき・・・。しかし、袋の中にはまだまだたくさんいる模様・・。  2匹目、最初に海老さんにご挨拶をして、運命を言い聞かせ、今度は頭からグサッ。1匹目の時より胸の高鳴りはややおさまる。それでも、なんだか罪悪感。考えてみれば、常に肉も魚も、野菜だって、私達はそれらの命を頂いて生きているのです。こうして、命を絶つところからやってみると、今までの自分が食べてきたものに、どれだけ感謝すべきか、はたと感じるのでした。  だんだん殺海老を繰り返すごと、平気になっていく恐ろしい心。慣れです。人間は、良くも悪くもすぐに慣れるものなのだ、とわかりました。慣れって恐ろしいのです。途中から助っ人が来て、共犯者になってくれました。ホッ・・。  最後にお皿にきれいに並べられた海老は、ぷりぷりと透明で、すばらしい姿!味はもちろんベリーグッドです。さっきの罪悪感はどこへ?とてもおいしくいただきました。「海老さん、生命力をありがとう。」  なぜこれが、自己改革のカテゴリーか?  自己改革とは、習慣(慣れ)の変革です。今までの”慣れ”を変える。と意外と又すぐにそれに慣れるものなのでは・・と思います。時間がないので終り。