イノアブログ

脳の訓練

 健康づくりのための体操=体力増強、つまり体を鍛えるものとすぐに思えるが、もちろんそうだけれど、実は脳の入出力の大変な訓練となっている。

 養老猛司さんの『考えるヒト』の中に、次のような一節があった。
「入力については、五感というくらいで、最低でも五種類はあるわけである。どれか一つ壊れても大事件ではあるが、ともかく入力が完全になくなるわけではない。だからへレン・ケラーの話がある。・・・・・いくらヘレン・ケラーでも、筋肉が動かなければ、どうにもならない。コミュニケーションと呼ばれるもの、これは意識的には、まったく随意運動に依存するのである。」
「われわれの出力系は、意識的には、すなわち随意的には、筋運動しかない。」

これらのことを考える時、私達が行なっている体づくりの運動やトレーニングは、5本ある入力系統のうち、特に聴く、見る、感じるを、そして、出力系として1本しかないとても大事な随意運動=筋運動の力を鍛え、研ぎ澄まし、錆びつかせない様にしているということになる。
筋萎縮症の人の例をとり、筋肉がすべて動かせなくなった時、今の人工呼吸器などの技術で生命維持は可能でも、他人に自分の意志を伝えるために、筋運動しか持たない私達は、その時意識はどうなるのか、伝えてくれた人がいないので、わからないと養老先生は述べている。その状態は、人間としての”生きている”ことを表現できていない。

このような究極の事態を考えれば分かりやすい様に、私達は筋肉を思い通りに動かす練習により、より人間としての”生”に対し、謙虚に感謝し、与えられた命に磨きをかけ、生きている意味を倍増させるという、命ある人間として必要不可欠なことをしているのだ。

自分の体を怠けさせ、「やっぱり年だから・・」と筋運動がだんだん不自由になる事に対し、努力せずにいる人は、人間として生きることを放棄しようとしている人ということになるのでは?一昔前なら、自然に生活の中で筋運動の強化がなされていたが、現代の便利な生活を謳歌するのであれば、意図的に筋運動を練習しないといけない事態になっているということをお忘れなく。