イノアブログ

役立たず

「どうせ私は役立たずだから・・。」というおばあさんがいる。「どうせ私は年だから・・。」というそんなに年でもない人がいる。「どうせ私はバカだから・・。」という人がいる。「どうせ私は、生まれつき運動神経が悪いから・・。」と言う人がいる。 疑問その1。この人達は、本当に役立たずなのか、年なのか、バカなのか、運動神経が悪いのか・・? 疑問その2。このせりふを言うことは、この世の法則、または道(気功で言う所のタオ)、神の教え、大宇宙の法則・・・などと呼ばれることに照らし合わせてみて、是か否か? 答えその1。私の祖母は、もう3回も脳卒中で倒れ、今は施設でお世話になっている。半身は不随。もちろん本人はできることなら自立して生活したいだろうし、自分の脚で歩きたいに決まっている。それでも、祖母の口から「どうせ私は・・・。」というせりふを一度も聞かない。1年に一度自分の娘である私の母や妹家族と、セカンドハウスで過ごすことを、何よりの楽しみにしている。その時も、トイレには介護が必要。それで祖母は、動かない脚に一生懸命力を入れる練習をして、少しでも介護する人の助けになるようにと頑張っている。もともと口数少なく、芯が強く、信仰心の厚い人。毎日、施設の中でしか生活できなくても、窓から外を眺め、神様にみんなの無事や幸せを祈ってくれている。介護が必要で、体は不自由だけど、この祖母を誰が役立たずと思うか??本人も思っていない。「神様が、まだ命を与えてくださっているから、生きなきゃね。」と言う。毎日すべての事に感謝している。こんな生き方(精神)を私達に見せて教えてくれている。 「どうせ・・・。」と言いたい人。自分のできる精一杯の努力(何ができるか考えて)と感謝、本当は誰でも、どんな人でもできるはずと私は思う。努力もせず、感謝もせず、不満だけは言いたい人から「どうせ・・。」というせりふが出てくるのだと思う。どんな境遇になっても、そんなひねくれたことを言わないような精神と体をつくるのが、健康づくりだ。 答えその2。したがって、否。